サンアントニオデパウラ高校→クリーブランド・インディアンス→ピッツバーグ・パイレーツ→ヤクルトスワローズ→読売ジャイアンツ→横浜DeNAベイスターズ→群馬ダイヤモンドペガサス
再現年度2011年
137試合 打率.279(477-133) 23本塁打 73打点
2盗塁(3-2) 3失策 9併殺打
「ラミちゃん」の愛称で親しまれ、史上初の助っ人外国人として2000本安打を達成し名球会入りした史上最強助っ人外国人。巨人在籍時は真の4番としてとにかく打点を稼ぎまくり、また類稀なバットコントロールで外国人右打者として史上初のシーズン200安打を達成するなど記録にも記憶に残る選手であった。
横浜DeNAベイスターズの2代目監督として就任後はデータを使った奇策や日本人特有の脳死セオリーを打ち破った采配などを見せ在籍5年で3回のAクラス入りを果たすなど万年弱小球団を改革した1人とも言えるだろう。
あれこれ
守備力G…この年限りで巨人を退団することになったがその原因として一番挙げられるのは守備力の低さ。横浜時代も惨憺たる守備だったのでここは厳しく。一方失策は少ないのでバランスを。
パワーA…23本はリーグ2位(統一球)
決勝打…殊勲打リーグNO.1 決勝打自体は大した数字ではないがラミレスといえば決勝打のイメージでは?