飯島 秀雄
オリンピック100m走金メダリストとしてNPB入りした漫画のような選手。西ベルリン大会では100m走で10秒1の日本記録を叩き出し、メキシコオリンピックでは100m走で10秒34の公式記録を計測するなど陸上選手として功績を残した。
オリンピック後は茨城県庁で勤務するも「足を生かした仕事がしたい」とのことから知人に相談すると何と当時のオリオンズのオーナー永田雅一氏に話が行き、1968年、世界初の代走専門選手としてロッテオリオンズに9位指名を受ける。
現役生活は3年と非常に短いものであり、期待された盗塁数は23(盗塁企図数40)と寂しいものであった一方で塁上に飯島が居る時のチーム打率は.424とかなりのプレッシャーを掛けていたことが分かる。