沖縄県立浦添商業高等学校→大仙→九州三菱→大阪近鉄バファローズ→東北楽天ゴールデンイーグルス→TFU
2005年度成績 37試合3勝10敗2H 5.18
四球がないのは仕様です(大嘘)
怒るとめっちゃ怖いらしい
沖縄県立浦添商業高等学校→大仙→九州三菱→大阪近鉄バファローズ→東北楽天ゴールデンイーグルス→TFU
2005年度成績 37試合3勝10敗2H 5.18
四球がないのは仕様です(大嘘)
怒るとめっちゃ怖いらしい
吉川 元浩(よしかわ もとひろ)
東京農業大学第二高校→大阪近鉄バファローズ④→読売ジャイアンツ→福岡ソフトバンクホークス
2004年度二軍成績
.311 22本 84打点 5盗塁 71三振 OPS.969
大阪近鉄バファローズに1997年のドラフト4位指名を受ける。入団当初は投手だったがケガにより野手へ転向。2002年にはウエスタンで最多本塁打王を獲得。2003年に小野仁、永池恭男とのトレードでジャイアンツへ移籍するとイースタンでも22本塁打を放ち本塁打王に、
しかしこの時の巨人は所謂史上最強打線と呼ばれた時代。中々出番は貰えず2007年に戦力外通告を受ける、
その後ソフトバンクが育成契約を結び登録期限である7/31に支配下登録を受け8/13にはファーム通算100号の本塁打を放つ。
8/17には一軍登録を受け8/29の西武戦ではグラマンからプロ11年目で初の本塁打を放った。その後2010年に再び戦力外通告を受け引退。
今はソフトバンクのグループ会社に勤めているらしい。
同姓同名の競艇選手が居る。
※Wikipediaはカスなので2005年に22本塁打を放ったことになっていますが正しくは2004年です。
※駄目口は( ^ ,_ゝ^)カス
山梨学院大附属高→アムウェイ・レッドソックス→三菱自動車岡崎→エルマイア・パイオニアーズ→香川オリーブガイナーズ→東北楽天ゴールデンイーグルス→パナソニック
再現年度 2010年(二軍成績)
93試合 .280 出塁率.346 9本 50打点 4盗塁
(一軍成績).000 0 0
楽天入団以前は投手、捕手、遊撃手も経験している珍しい選手。プロ入団が28歳と遅いが松坂世代である。
2008年に楽天に育成1位で指名されると翌年の6月に支配下登録を受け、同日に一軍登録、8番サードで出場し中日・小笠原孝からプロ初安打を放つなど一定の活躍を見せる。
しかし野村監督から星野監督へ代わった2011年に戦力外通告を受け、その後はパナソニックにて再びプロを目指しプレーするも戦力外通告を受け引退。現在は宅配便の配達の仕事をしているらしい。
帝京第三高校→亜細亜大→日産自動車→兄弟エレファンツ→福岡ソフトバンクホークス→ニューアーク・ベアーズ→兄弟エレファンツ→中信兄弟(コーチ)→徳島インディゴソックス(監督)
2001年度成績(台湾)
31登板26先発6完投3完封11勝10敗1S 62与四死球
社会人時代はドラフト候補として名は上がるも指名漏れ、その後台湾球界から声を掛けられ27歳にして台湾リーグの兄弟エレファンツに移籍、シーズンでは台湾プロ野球史上初となる1試合16奪三振(1安打完封勝利)を記録するなど166奪三振で最多奪三振王、ゴールデングラブ賞(金手套奨)に輝き、212イニングを投げ11勝、防御率2.21など驚異的な活躍を見せた。さらに台湾シリーズでも4試合に登板し、2勝2セーブ、防御率0.83で兄弟の決勝戦(總冠軍)制覇に大きく貢献。シリーズMVPに選ばれる。
その活躍を認められ2002年のドラフトで福岡ソフトバンクホークスにドラフト7位で指名される。しかし腰の怪我などもあり1年で戦力外通告を受けるとメジャー挑戦のため単身でアメリカへ移籍。ホワイトソックスとマイナー契約を結び3Aシャーロットではノーヒットノーランも達成。
しかし2005年にドーピング検査にて陽性の診断を受け成績不振もあり解雇。
その後は米独立でプレーし、2007年には再び兄弟エレファンツに移籍するも膝の故障などで思うような活躍は出来ず1年で戦力外の後引退した。その後は中信兄弟の投手コーチや徳島インディゴソックスの監督も経験し、現在は四国アイランドリーグの代表チーム監督兼GMを務めている。
球速、変化球は映像から判断。現在より遥かにレベルは劣る頃の台湾リーグとは言え年間221イニングは凄い。4カ国のリーグを経験したことから英語、北京語、スペイン語のトリリンガルとのこと。