【パワプロ2018 パワナンバー】2004(通年)吉川 元浩

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吉川 元浩(よしかわ もとひろ)

東京農業大学第二高校→大阪近鉄バファローズ④→読売ジャイアンツ福岡ソフトバンクホークス

2004年度二軍成績

.311 22本 84打点 5盗塁 71三振 OPS.969

 

大阪近鉄バファローズに1997年のドラフト4位指名を受ける。入団当初は投手だったがケガにより野手へ転向。2002年にはウエスタンで最多本塁打王を獲得。2003年に小野仁、永池恭男とのトレードでジャイアンツへ移籍するとイースタンでも22本塁打を放ち本塁打王に、

  しかしこの時の巨人は所謂史上最強打線と呼ばれた時代。中々出番は貰えず2007年に戦力外通告を受ける、

  その後ソフトバンクが育成契約を結び登録期限である7/31に支配下登録を受け8/13にはファーム通算100号の本塁打を放つ。

 8/17には一軍登録を受け8/29の西武戦ではグラマンからプロ11年目で初の本塁打を放った。その後2010年に再び戦力外通告を受け引退。

 今はソフトバンクのグループ会社に勤めているらしい。

 

同姓同名の競艇選手が居る。

 

Wikipediaはカスなので2005年に22本塁打を放ったことになっていますが正しくは2004年です。

※駄目口は( ^ ,_ゝ^)カス

【パワプロ2018 パワナンバー】実在選手 丈武(森田 丈武)

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丈武(じょうぶ)(森田 丈武)(もりた じょうぶ)

山梨学院大附属高→アムウェイレッドソックス三菱自動車岡崎→エルマイア・パイオニアーズ→香川オリーブガイナーズ東北楽天ゴールデンイーグルスパナソニック

 

再現年度 2010年(二軍成績)

93試合 .280 出塁率.346 9本 50打点 4盗塁 

(一軍成績).000 0 0

 

楽天入団以前は投手、捕手、遊撃手も経験している珍しい選手。プロ入団が28歳と遅いが松坂世代である。

2008年に楽天に育成1位で指名されると翌年の6月に支配下登録を受け、同日に一軍登録、8番サードで出場し中日・小笠原孝からプロ初安打を放つなど一定の活躍を見せる。

しかし野村監督から星野監督へ代わった2011年に戦力外通告を受け、その後はパナソニックにて再びプロを目指しプレーするも戦力外通告を受け引退。現在は宅配便の配達の仕事をしているらしい。

 

 

【パワプロ2018 パワナンバー】実在選手 大平成一

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大平 成一(おおひら せいいち)

波佐見高校北海道日本ハムファイターズ信濃グランセローズ

 

再現年度2010 (二軍成績)

98試合 .247 出塁率.299 11本 50打点 0盗塁 83三振 

 

波佐見高校時代には高校通算31本塁打を記録、2007年に日本ハムからドラフト4位指名を受ける。中田翔と同期で右の中田左の大平として期待されていたがこの翌年は.184と全く打てず戦力外となった。現在は軟式社会人野球をしているらしい。

ちなみに平成元年生まれ。

【パワプロ2018 パワナンバー】架空選手 鹿島祐葵

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鹿島 祐葵 

大京文和高校→横須賀大学→横浜DeNAベイスターズ

今最もメジャーリーグに近い男と呼ばれる投手。球界トップクラスの制球力を持ちゲームの支配力は随一。フォーシームの空振り率は過去4年で平均10.4%と非常に高い。

 

 

 

 

 

ケガしにくさG コンスタAAのガラスのエースを作りたかったです…

【パワプロ2018 パワナンバー】兄弟エレファンツ 養父鉄(2001)

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帝京第三高校→亜細亜大→日産自動車兄弟エレファンツ福岡ソフトバンクホークスニューアーク・ベアーズ→兄弟エレファンツ→中信兄弟(コーチ)→徳島インディゴソックス(監督)

 

2001年度成績(台湾)

31登板26先発6完投3完封11勝10敗1S 62与四死球

212投球回166奪三振 防御率2.21 WHIP1.04

 

社会人時代はドラフト候補として名は上がるも指名漏れ、その後台湾球界から声を掛けられ27歳にして台湾リーグの兄弟エレファンツに移籍、シーズンでは台湾プロ野球史上初となる1試合16奪三振(1安打完封勝利)を記録するなど166奪三振最多奪三振王、ゴールデングラブ賞(金手套奨)に輝き、212イニングを投げ11勝、防御率2.21など驚異的な活躍を見せた。さらに台湾シリーズでも4試合に登板し、2勝2セーブ、防御率0.83で兄弟の決勝戦(總冠軍)制覇に大きく貢献。シリーズMVPに選ばれる。

 

その活躍を認められ2002年のドラフトで福岡ソフトバンクホークスにドラフト7位で指名される。しかし腰の怪我などもあり1年で戦力外通告を受けるとメジャー挑戦のため単身でアメリカへ移籍。ホワイトソックスマイナー契約を結び3Aシャーロットではノーヒットノーランも達成。

しかし2005年にドーピング検査にて陽性の診断を受け成績不振もあり解雇。

その後は米独立でプレーし、2007年には再び兄弟エレファンツに移籍するも膝の故障などで思うような活躍は出来ず1年で戦力外の後引退した。その後は中信兄弟の投手コーチや徳島インディゴソックスの監督も経験し、現在は四国アイランドリーグの代表チーム監督兼GMを務めている。

 

球速、変化球は映像から判断。現在より遥かにレベルは劣る頃の台湾リーグとは言え年間221イニングは凄い。4カ国のリーグを経験したことから英語、北京語、スペイン語トリリンガルとのこと。