【パワプロ2018 パワナンバー】兄弟エレファンツ 養父鉄(2001)

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帝京第三高校→亜細亜大→日産自動車兄弟エレファンツ福岡ソフトバンクホークスニューアーク・ベアーズ→兄弟エレファンツ→中信兄弟(コーチ)→徳島インディゴソックス(監督)

 

2001年度成績(台湾)

31登板26先発6完投3完封11勝10敗1S 62与四死球

212投球回166奪三振 防御率2.21 WHIP1.04

 

社会人時代はドラフト候補として名は上がるも指名漏れ、その後台湾球界から声を掛けられ27歳にして台湾リーグの兄弟エレファンツに移籍、シーズンでは台湾プロ野球史上初となる1試合16奪三振(1安打完封勝利)を記録するなど166奪三振最多奪三振王、ゴールデングラブ賞(金手套奨)に輝き、212イニングを投げ11勝、防御率2.21など驚異的な活躍を見せた。さらに台湾シリーズでも4試合に登板し、2勝2セーブ、防御率0.83で兄弟の決勝戦(總冠軍)制覇に大きく貢献。シリーズMVPに選ばれる。

 

その活躍を認められ2002年のドラフトで福岡ソフトバンクホークスにドラフト7位で指名される。しかし腰の怪我などもあり1年で戦力外通告を受けるとメジャー挑戦のため単身でアメリカへ移籍。ホワイトソックスマイナー契約を結び3Aシャーロットではノーヒットノーランも達成。

しかし2005年にドーピング検査にて陽性の診断を受け成績不振もあり解雇。

その後は米独立でプレーし、2007年には再び兄弟エレファンツに移籍するも膝の故障などで思うような活躍は出来ず1年で戦力外の後引退した。その後は中信兄弟の投手コーチや徳島インディゴソックスの監督も経験し、現在は四国アイランドリーグの代表チーム監督兼GMを務めている。

 

球速、変化球は映像から判断。現在より遥かにレベルは劣る頃の台湾リーグとは言え年間221イニングは凄い。4カ国のリーグを経験したことから英語、北京語、スペイン語トリリンガルとのこと。